鳥取城跡
久松山にそびえる山城の跡。天正年間、羽柴秀吉によるいわゆる「鳥取の渇え殺し」の舞台であり、徹底した兵糧攻めによって城内は深刻な飢餓に陥り、多くの兵と領民が餓死したと伝えられる。日本の戦国史でも最も凄惨な籠城戦の一つとして知られ、開城後、城将・吉川経家は将兵の命と引き換えに自刃した。 語られる噂は、夜の山道ですすり泣きを聞いた、山上に人影が見えた、石垣の陰で気配を感じた、といったもの。この城の噂は華々しい合戦ではなく「飢え」の記憶と結びついて語られる点に、他の城跡とは違う重さがある。 現在は麓の擬洋風建築・仁風閣とともに観光地として整備され、山上の本丸跡からは鳥取砂丘と日本海が一望できる。経家の辞世を知ってから登れば、この山の静けさの意味が変わって感じられるはずだ。
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